おうち帰りたいブログ

自分のための話

私が彼氏にオフパコしてほしくない理由

 先日、彼氏と手羽先を食べながら飲んでいるときのことです。「不機嫌になるかもしれないけど…」と何か話したげなそぶりを見せる彼氏。我々は普段から何事も包み隠さず忌憚のない意見を述べ合うことを家訓(?)としています。先を促してみると以下のような話でした。

 

「他の人とセックスするとどう違うのか知りたい」

「オフパコしてみたい/してもいい顔の相手がいる」

「でもこの欲求は自分でも折り合いがついていない」

 

 それに対し、私は以下のように回答しました。

「その欲求を否定はしづらいが、内容的に肯定はできない」

「タバコをやめてほしい・薬物に手を出してほしくないのと同種の気持ち」

「その欲求に制限を加えてよいというのが交際・婚姻の契約内容なのではないか」

 

その場での議論はそれにとどまりました。リベラルを自認している手前、また何事もまず先入観をおいて検討してみるという基本的な姿勢に忠実に従った結果、頭ごなしに「そんなのダメ」と断言せず中立を装ってやんわりとたしなめる程度の発言に着地したのです。しかしこれ以降、彼氏がオフパコ相手と親密になって自分から離れていくという具体的な想像に苦しめられるようになりました。

 

友人に相談したところ「まずそんな話をする時点で相手の気持ちを考えておらず、信頼関係を揺らがせるような言語道断の所業である」という厳しい意見が得られました。すべてを議論しつくして齟齬のない関係を築こうとするあまり、自分の感情とか自尊心といった人格の基礎的な部分を守ることを忘れていたようです。

 

しかし、やはり「みんなダメって言ってる、ダメやと思ってへんのお前だけ」の一点を貫くだけでは、ああだこうだ理屈をこねる相手と戦うには心もとなく、同じく理屈っぽい自分自身を納得させるのにも足りません。他の人とセックスしないでほしいと情緒に訴えかけて表面的には受け入れられても、一度芽生えた不信感を拭い去ることはできません。

そこで、彼氏がオフパコすべきでない理由と私が相手の股間の自由を制限してよい理由について、考えたことを整理しておくことにしました。

 

 

0. なんかイヤ

まず何かを論じるとき、その出発点は必ずしも客観的な知識や中立の意識にのみ基づかなければならないということはありません。なんかイヤだなと思うところから始めたっていい。イヤなのはなぜなのか、それを補強してくれるストーリーを提出できそうか、ということが大事です。

オフパコ、イヤですね。

自分がこれはと思って選んだ男に、倫理観のない、自分より劣る(であろう)女とつるんでほしくなくないですか?私のものベタベタ触ってほしくないですよね。どこの誰とも知らない人と竿姉妹・穴兄弟になるのもイヤです。彼氏がオフパコして帰ってきた日にはもう触ってほしくないと思う。保健所行ってよく調べてもらったとしてもだめ。あと、そんなめちゃくちゃやる人たちと関係を続けていたらある日絶対面倒ごとに巻き込まれると思いませんか?

 要約すると、オフパコが嫌なのは倫理的にアウト、汚いからアウト、厄介だからアウト、この三つにまとまりました。これらを一つずつ検討していきます。

 

1. 倫理的な問題

セックスをする=無防備な状態での接触を許すという行為には二つのリスクがあります。一つには、密室の中で何も身を守るものを持たずに他者と相対するという明らかにリスクの高い状況。二つには、性という人間にとって根源的な部分を他者の批判のもとに晒すリスク。

セックスはその人の肩書や経歴といった外付けの権威、後天的に身につけた能力が代行してくれるものではなく、そういったもので普段覆われている生身の身体、生まれた時から好むと好まざるとにかかわらず常にともにあった、切り離し得ない自分の性的な部分を用いて行うものであって、信頼のおけない人間にこれを晒すことは性的な自分によほど自信のある者でない限り無視できない/してはならないリスクです。簡単に言えば、オフパコをしようというのなら、あなたを裏切ることに何の抵抗もない人たちによって「あいつ股臭え」とか「短小の早漏だった」などの好ましくない評判を広められるのを覚悟するべきだということです。

だから、常識的なリスク感覚の持ち主たちにとって、一定の信頼関係においてそのリスクを回避できるという証明および契約が、交際また婚姻だと考えます。※

この条件だけなら安全にセックスできる関係は相手との信頼関係さえ証明できればいくつあってもよいことになりますが、我々は基本的に一夫一妻制の文化の中で生まれ育ち、同時に交際してよい相手は一人までという考えが刷り込まれていますよね。

たしかに一夫多妻(一妻多夫)制の文化は過去ひろく存在し、また現在も一部地域に存在しており、フリーセックスなど一対一の婚姻にとらわれない関係を生きようという新しい運動もあります。しかしそこでも別の相手への嫉妬など関係者間の感情的な問題は解決されたわけではありません。すべての妻に平等に接することができないなら第二、第三の妻をめとるべきではないとはコーランにも書いてあるそうです。

度量も甲斐性も石油王ほどでないごくふつうの人間が、交際というこの決して軽くはない関係をいくつももてあそんで関係者間の平和を維持することができるのか、自分は果たして他者の人生にそこまで責任を持てるのか、ということはよく自問すべきでしょう。

 

※ 逆説的にそのハードルを越えた相手を交際・婚姻に足る相手と誤認する(セックスしたら好きになっちゃった)おそれがあるのも怖い。これを金銭的な契約関係に移したものが風俗だろうか。風俗ならまだよい気もする、少なくとも客と店員の関係であって、商売上向こうがその一線を越えてはこないだろうという信用が多少存在するからだ。

 

2. 衛生管理上のリスク

不特定多数との性的接触が性病の主な感染経路だというのは周知の事実でしょう。たとえ同じ相手とでもコンドームを使うなどして直接の粘膜接触を避けるべきであるとは広く言われていることです。数年前から国立感染症研究所でも若年層での梅毒流行が報告されており、日本の股間の衛生環境はかなり危険な状態であるといえます(梅毒はオーラルセックスでも感染するのでかさねて警戒すべき)。

性病の件数を人口で割ればたしかにわずかな数字にはなります。しかし、気軽にオフパコに応じるタイプの人間は他にも無数の関係を持っているはずで、そんな界隈と接触すればキャリアをツモってしまう可能性は慎重に貞操を守っている場合の割合よりぐっと上がるはずです。

性病は単に股間が痒くなるばかりではなく、梅毒などは潜伏しながら徐々に全身を蝕んでいきます(痒いだけでも充分鬱陶しいが…)。病院に行けばすぐ検査結果がわかるというわけではないし、治療にも長期間の投薬が必要になるそうです。感染してしまったら根治するまでは新しく交際相手を見つけるのにも抵抗があります。子供にも先天性の障害が出る恐れがあり、人生設計が大きく狂ってしまうでしょう。

自己責任でフリーセックスして自業自得になるだけなら誰も止めはしません。どうぞご勝手にさようなら。でもパートナーがそれを隠していて自分まで性病ネットワークに組み込まれたらたまったものではないですね。好奇心から身近な人まで危険に巻き込むような人は、本当の意味で大事な人を大事にできていないですよ。

私は性病にはなりたくない。

 

3. 安全保障上のリスク

セックスの相手を制限することの利点は、女体側にとっては意図しない妊娠を避けられるものとして一般に理解されていますが、男体側にとっても意図しないタネの拡散を防止することは重要であるはずです。

いくら男体側で避妊に気を付けていても向こうが「あなたの子よ」と言ってきたらどうするか。それを否定してあげるのには余分なコストがかかりますね。DNA鑑定は2万円からだそうですよ。さらには、こちらにその気がなくても1で触れたようにセックスがきっかけでガチ恋されたらどうするか。不貞をネタに強請られるかもしれないし、家や職場に現れたら社会的な信用は失墜します。厄介女性につけ狙われるだけで普段の生活が脅かされるわけです。そしてその累は自分自身だけでパートナーやその他にも及ばないとは言い切れません。

これらはあくまで一つの可能性に過ぎません。もしかしたらそこまで悪い事態は起こらないかもしれない。でも「ちょっとセックスしてみたいな~」くらいでこれだけのリスクを背負い込めますか、ということです。

 

 

まとめ

 

私は彼氏には絶対オフパコしてほしくありません。

彼氏がいろいろなものに依存して生きているのは知っています。生きていても楽しくないし死にたいといつも言っているから、煙草も本当はやめてほしいけど少しでも人生を生きやすくするのに必要ならあまり強くは言えないな、と弱気に思っています。

でもオフパコだけは絶対にダメです。

彼氏は自分の人生のことどうでもいいと考えているし、あなたがひどい目にあうと私もつらいからと伝えても「重たいなあ」としか言ってくれないのですが、つらつらこういう理由で私が彼氏の股間の自由を禁じたいと思います。